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藤原兼房 (中宮亮) : ウィキペディア日本語版
藤原兼房 (中宮亮)[ふじわらかねふさ]

藤原 兼房 (ふじわら の かねふさ)は、平安時代中期の貴族歌人中納言藤原兼隆の長男。
== 経歴 ==
寛仁年間に右近衛少将を務める。この間の寛仁2年(1018年)に内裏で開かれた宴会に参加した際、その場で唐突に蔵人頭藤原定頼を口汚く罵倒するや、定頼の前に置いてあった料理で蹴散らし、から被り物を奪おうとする。さらに定頼が逃げ込んだ控室に雨のごとくを投げつけるが、定頼が控室から出てこないとみるや、今度は殿上の間で定頼を侮辱する言葉を喚き散らすという事件を起こす〔『小右記』寛仁2年4月1日条〕。これにより兼房は謹慎処分となり暫く参内を禁じられた〔『小右記』寛仁2年4月2日条〕。同年、従四位上中宮権亮に叙任される。
治安元年12月(1022年1月)清涼殿で行われた御仏名〔仏名経を読んで三世諸仏の名号を唱えることにより、その年の罪障を懺悔し消滅を祈る、年末に行われる法会。〕の最中に少納言・源経定と口論を始め、兼房が経定の頭の被り物を叩き落としたことをきっかけに取っ組み合いの喧嘩となる。ついには兼房が経定を一方的に暴行し始めるが、経定の父の権中納言源道方に助けを求められた大納言藤原能信が二人ので打ち据え、ようやく二人は引き離された。二人の親であった中納言・藤原兼隆と源道方は、この様子を見て人目もはばからず泣きながらその場を退出してしまったという〔『小右記』治安元年12月24日条〕。
治安3年(1023年)これまでの中宮亮に加えて右馬頭に任ぜられる。同年12月には蔵人・源成任の控室において、中宮の侍を務めていた宮内少輔・藤原明知を四人の従者に打ち懲らしめさせる事件を起こす。明知が関白藤原頼通に訴え出たことから事件はたちまち露見し、兼房は即座に内裏から追放され、従者たちは捕らわれたという〔『小右記』治安3年12月26日条〕。
その後は、丹後守備中守播磨守讃岐守と地方官を歴任する。この間の長元2年(1029年)には正四位下に叙せられているが、その後40年に亘って昇進は叶わず、公卿昇任は果たせずに終わっている。延久元年(1069年)6月4日卒去。最終官位は前讃岐守正四位下〔『土右記』延久元年6月4日条〕。享年69。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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